仏教と聞くと、お葬式や法事などなんとなく人の死を連想してしまう暗いイメージがあるかもしれません。一方で、仏教には100年時代の人生を豊かにしてくれる、たくさんの素敵な教えが詰まっています。今回は、そんな仏教の教えのうち「四法印」について解説したいと思います。
仏教(四法印)とは
四法印とは、仏教の根本にある四つの概念「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」「涅槃寂静」を指します。お経(般若心経)は、この四法印の考え方を説いたものになります。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
国語や歴史の授業で習った、平家物語冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」を連想する方も多いのではないでしょうか。栄華を誇った平家が源氏の台頭により滅びゆく様子を「世は常でない儚いもの」と記した名文です。
「諸行無常」とはこの世の全ては、常に変化し続けるもので同じ状態ではない。地位や名誉・知識・お金に至るまで、私達のまわりは全て変化し続けているという事実を述べたものです。
私達の人生でも、幸せだった時間が一瞬にして奪われたり、辛いことばかりが続いていても何かのきっかけで、幸せが訪れたり・・・など「今の状態がずっと続くことはない」と捉えると今の幸せに感謝の気持ちが芽生えたり、これからの人生に勇気が湧いたりするのでないでしょうか。
諸法無我(しょほうむが)
諸法とは「この世の全てのもの」、無我とは「実体がない」ことを意味しています。そして諸法無我とは、「この世の全ての物事は実体がなく、互いに影響し合う因果関係によって成立しているものであり、何ひとつ単体で存在しているものはない」ことを意味しています。そして自分自身も単独で存在しているものではありません。
つまり、自分自身を含めた全てのものは「お互いに依存しあってつながりあって存在している」ということです。自分を生んでくれた親・着ている服を作った制作者・食物をつくる農家の方などなど、私たちは様々な縁によって「生かされている存在」であって決して自分一人で生きているわけではないのです。
お世話になった人に感謝を表す言葉として使われる「おかげさまで」。この言葉はまさに「諸法無我」の考えから発せられる素敵な言葉です。いいことがあった時は「まわりの皆様のおかげ」、悪いことがあった時は「自分自身だけで抱えこみ、ひとり悩んでいても仕方ないこと」とご縁を大切にすることができれば、素敵な人生になりそうです。
一切皆苦(いっさいかいく)
「苦」とは「苦痛」を指すのではなく、「思い通りにならない苦しみ」を意味します。生死や病気に関わる「苦」から、人との出会いや別れ・ほしいものが手に入らない、といった日常の「苦」まで、人生において「苦」を避けることはできません。つまり「人生は苦を起点に考える」という教えです。
苦が起点と考えることができれば「思い通りにならないことが普通なので、前向きに生きる」「思い通りにならないこと自体に執着しない」「苦がない状況に感謝する」という考え方ができそうです。
私たちの人生において、一切皆苦の教えは「平凡な(幸せな)日々に感謝し、思い通りにならない苦しみにとらわれすぎない」という応援メッセージなのではないでしょうか。
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
涅槃とは「煩悩のない」、寂静とは「静かな安らぎの境地」を意味します。仏教では、諸行無常・諸法無我・一切皆苦を正しく理解し、修行を積むことで「涅槃寂静」という最終目標に至ることができる、としています。
「物事は全て変化し続けているということ」「自分自身含めたすべてのものはそれ自体に実体がなく、因果やご縁で存在しているということ」「思い通りにならないことは、あたりまえのこと」を理解し意識することができれば、「涅槃寂静」とはいかないまでも、苦悩から解き放たれ、人生を楽に過ごせるようになるかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか?紀元前に始まる仏教の教えですが、変化が速く思い通りにならないことばかりの現在においても通じるものがあり、100年時代のこれからの人生を前向きに捉えることができる教えなのではないでしょうか?
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